期待→失望へ


学生時代、僕はアイセックというサークルで、南北問題を学ぶ勉強会に参加していた。なぜ南北問題だったのかはわからないけど、当時他のメンバーが参加していたAPECとか、経済に関するイシューには興味がなかった。ボランティアとか善意とか地球市民意識とか、そういったもので世界は変わると思っていたし、そのためにNGOみたいなところで働く人が素晴らしい、というような感覚を持っていた。お金の話は嫌いだったし(おまけになかったし)、就職活動も、弱い立場から搾取するイメージのある商社と金融機関だけは一切行かなかった。外務省の役人さんが「ODAは外交手段ですよ」と言うのを聞いて、ぷりぷり怒っていた。偶然ある研究会で知り合った元国連職員の方に理想論を聞いてもらって、目を輝かせていた。


理念や理想に憧れる、ある意味世間知らずでしあわせな大学生だったとも言える。


専門課程に進む段階で、「開発教育」に少しでも関連のありそうな、教育学部の学科を選んだ。
そこで4年次に卒論を書いたのだが、いまだにその内容を思い出すと、思いっきり恥ずかしくなる。
とにかく、きっちりとした理論や理屈や因果関係を示すことができなかった。
要は、「開発教育という、南北問題を取り扱うテーマは大事だから、教育カリキュラムに入れなくちゃね」的な無責任な論だったのだ。



あれから10年余り。
大学を卒業してから、その分野には全く触れていなかった。
実は、最終面接手前までいったものの内定をもらうに至らなかった、当時のOECF(今の国際協力銀行)への就職活動の失敗がトラウマになっていたのかもしれない。



民間企業に就職して、世の中のことも少しずつわかり、そしてここ数年ファンドマネーが企業をM&Aという形で動かすようなダイナミックな動きを感じ、どんどんスピード感と規模を増して変わっているなかで、いまの「南北問題」「開発教育」はどうなっているのだろう?


そんな疑問に答えてくれることを期待して読んだ、4月に出たばかりのこの本。


子どもたちへの開発教育―世界のリアルをどう教えるか (叢書 地球発見)

子どもたちへの開発教育―世界のリアルをどう教えるか (叢書 地球発見)


残念ながら、がっかりしてしまった、というのが正直なところだ。
この中で展開されているのは、きっと、10年前に僕が恥ずかしくなるくらい稚拙な文章で、誰にともなく主張していた内容と、そう変わらない。
たとえば、グローバルな環境問題や南北問題が解決すべき深刻なものだという認識が多くの人たちの中で一致しているにしても、それをどのようにひとりひとりにわかってもらう工夫をするか? 何が、無関心の本当の原因なのか? 本当に、資本主義が、政府や企業が、アメリカのグローバリズムが、第三世界の貧困の真の原因なのか?


そういったひとつひとつの細かな検証なく、


北の世界は豊か。南の世界は貧しい。
北は搾取する。南は搾取される。


といった単純化した図式の前提で、あとはみんなの意識を高めなければ、と言っても、
誰も、具体的に何をどうすればいいのか、わからない。


教育とひとことで言っても、

・何を教えるか
・どう教えるか
・カリキュラムはどう設定するか
・その効果はどう測るのか

といったデザインが必要になるはず。
開発教育にも、そういった、ある程度、科学的に明快に説明できるアプローチが必要なはずで、いや、昔からあったにもかかわらず、普及しないのには阻害要因があるのだから、そこをまず明らかにした上でそのマイナススタートからゼロスタートに持ってくるところから、取り組まなくてはいけないのだと思う。


企業活動は悪者にされているけど、

利益を生み出そうとする企業の行動が、
あるいは
欲求・欲望を満たそうとする個人の行動が、

ここまで世界を発展させてきたのだ。

であれば、

そのインセンティブを刺激するような仕組み、システムを、

南北問題の解決なり、
開発教育の盛り上がりなりに、

組み込まないことには、今からの10年間も、ムダに浪費してしまうのではないか。


ふう。
学生時代の頃のことを思い出して、少し熱くなってしまったョ。