凄まじき男の人生

・・・を、読ませてもらった。というのが読後の正直な感想。


つぎつぎに出版の世界で常識破りのことを仕掛け、そして見事に結果を出し続ける、幻冬舎
その幻冬舎を設立し、いまもなお第一線で引っ張っていくのが、見城徹さんである。



その見城さんが、現役編集者としての総決算と位置づけている本が、これ。


編集者という病い

編集者という病い



作家と編集者が向かい合うとき、そこに返り血を浴びてもいいくらいまでお互いの距離を縮め関係を深くし、(『切り結ぶ』という表現を使っています)そのことでいい作品を世に放っていく。
過去の角川書店で、幻冬舎を設立してから、どんな手段で、どんなことをして見城さんが
結果を出してきたかが、よくわかる。


どれだけ劣等感を持ってきたか、または人間関係の中で傷ついてきたか。(中略)その傷ついてきた総量が多ければ多いほど、相手に対して刺激的な言葉を投げかけることができると思います。思いやるということもできますしね。(P158)

劣等コンプレックスという、負のパワーを溜め込んで爆発させて、もの凄いエネルギーに変える、というイメージは、斎藤孝先生の20代、30代の、報われない時代のなにくそという気持ちに通ずるものがある気がする。


自分が死ぬときに、あぁ、イイ人生だったなと思えて死ねれば、結局それは、イイ人生なんです。名前がある者にもない者にも、カネがある者にもない者にも、死だけは、平等に訪れます。その死の瞬間、微笑むことは難しいかもしれないけれども、僕は人知れず微笑んで死んでいきたい。そのために、僕は、今、ビビリながら戦っている。それだけです。(P290)


死が万人に対して平等に訪れるという、この世の中の決まり。
改めて意識させられた。
そう、そのときに悔やむことのないように、今、生を与えられているのだ。
死を意識してこそ、生を輝かせることができる。




ひとつ、ちょっぴり気になったこと。
見城さんは、表現者として出版の形でこの人生を書き綴った。
テレビというメディアに出てインタビューに答える姿に、ちょっとした違和感を感じた。
活字で、単行本というオールドメディアにこだわっていたのではなかったか。